昨日のあらすじ:悩んでたけど、自分なりにやってみたいことが判明。
オリジナルタロットカードを作ってみようということで心が決まった。
そんな本日朝、いきなりやる気は減衰していた。
いっそ今日はお掃除デーにして、お部屋をピカピカの高波動状態にして挑む?そのほうが納得いく絵が描けるんじゃない?
とかいうテスト勉強中に掃除しだす学生みたいな事を考え始める。あるある。何ならやった。
そう思いつつも結局身体はだるくて、お布団でうつらうつらしながらカードリーディングを聴く。
『あなたの本当の望みはなに?』
『紙に望みを書いてみて。』
『あなたを表現する事が大切。』
うーん、望みかぁ。紙に書く。うーん…
何で自己表現のためのお絵描きに、こんな腰が重くなるんだろう。
本当の望み、分からない。タロットカード作るのも、本当は自分の中で納得できる動機はない。
でも絵を描くことに対してここまで引っかかるのは、どちらにせよ自分の中に何かがあるはず。
『なんで描きたくないの?』と紙に書いてみる。
そしたら、"怖い"という感情が出てきた。
最後まで描ききれるのか。自分の絵が、納得できるクオリティで描けるのか。それが怖い様だった。描く前からクオリティ求めすぎやろ。せっかちね!
でも、今までSNSに絵を載せててクオリティを求められたことはない。アンチもついたことない。…いいねは少なかったけど、むしろ褒めてもらうこともあったなぁ。
だけどその方に失礼ながら、心から喜べたことはなかった。なんで?傷つけられた体験なんてした事ないし、褒めてもらうとか一番最高の体験じゃん。
…もしかして今まで、自分が一番、私の絵にダメ出して傷つけてたのかな。
一番の厄介アンチが自分だったのでは?だから怖くなったのでは。
と、気がつけました。トラウマ、セルフサービスで作ってたのね。なんだその不毛な思考回路は。
それと同時に、親。特に母親との思い出が頭に浮かんだ。
絵を描いて見せても、適当な反応を返される事が多かったことを思い出した。
子どもの頃から成人まで熱中したビーズアクセサリー作りは、ビーズがそもそもキレイだから一定のクオリティが担保される。親も喜んでくれた。
でも、絵は違った。そんなに上手くなかったんだろう。
自分の好きなものを表現したそれを褒めて貰えなかった事が、認められなかった様に感じたのかもしれない。
ちなみに大人になっても、趣味で描いたものを親に見せていた。それも反応は薄かった。子供の頃だけでは飽き足らず、大人になってもこっそり、自分の大切にしているものが認められることを願ってたんだ。
いや、もういいやろ。大人になってまでやってる場合か。自分の人生生きるんでしょ!
さぁ、そろそろ親離れの時間。
身動きが取れない状態を意味する吊るされた男のカード。男は死刑囚らしい。
私は新しく生まれ変わったばかりの女性を描いた。
蛹から蝶になったばかりの状態。花に包まれて優しく、しっかりと守られていて、自分で動き出せるようになるその時を待っている。
どちらも身動きは取れないので、物事が進展しない忍耐の時期かもしれない。
でもこれは、これからを生きていく通過儀礼の時間。いずれ目を開けて、動き出す時が来る。
initiation:通過儀礼
◯おまけ
入浴中に開いた緊急メッセージ系のリーディング
『今決めた事をそのまま進めてください。考えたりせず、振り返らないで。』
ハ、ハァイ…
絵を描いてカードを作ることと同時に、ここから気づくことがあるんだろうな。
ちなみに天使さんはなんか盛り上がってた。よく分からないけど、ありがとうね…
◯参加中!